赤江さんの住まい

演劇評論家 中村 義裕

 赤江さんは、79年の生涯のほとんどを生まれ故郷の山口県・下関で過ごした。「源平の合戦」で有名な壇ノ浦も近く、戦いに敗れた幼君・安徳天皇が水底に沈んだエピソードは有名だ。安徳帝を祀る「赤間神宮」も近い。

 赤江さんに下関でお目にかかったことはないが、歿後10年の2022年に、連載を持っている企業広報誌の巻頭で赤江さんの特集を書くことになった。取材のために念願の下関を訪れ、亡くなるまで助手をしておられ、今もこのHPの管理人である浅井さんにあ ちこちを案内していただき、美味しい魚や酒に舌鼓を打った。

 その折に、赤江さんの住まいをご案内していただいた。外見を拝見しただけで中へは入っていないが、海へギリギリの場所に立った、閑静な一軒家だった。この空間からあの濃密な文章や美しい毒を孕んだ作品が生まれたのか、と思うと感慨しきりの一方で、主が留守でも家を守っておられる浅井さんの温かさを感じた。推理小説家の江戸川乱歩が夜中に蝋燭を灯した蔵の中で作品を書いていた、とのエピソードは有名だが、赤江さんはどのような気持ちで原稿用紙に向かっていたのだろうか。時間に関係なく、 重ねていたのだろう。

 浅井さんの案内で、一分とかからず波打ち際に降りることができる。そこはもう、関門海峡の一部だ。そう遠くないところに、「満珠」「干珠」の小島が、角度によっては重なるように見えている。これは、神功皇后が新羅出兵の折に、住吉大神から授けられ 干珠(しおひるたま)」、「潮満珠(しおみつるたま)」を海に返したところ、二つの小島になったと言われているものだ。この島は、下関にある「忌宮(いみのみや)神社」の飛び地で国指定の天然記念物になっており、当然ながら渡って上陸することはできない。

 こうした風景を間近にしながら潮の香りや波の響きの中、原稿が書けたらさぞ、と思うのは、地面が見えないほどのビル群に囲まれ、狭い空しか見えない場所に住む私のないものねだりだろうか。海に近い家は、実際には、塩分を含んだ風や、荒天の折には海水を浴び、家の維持や補修に莫大な手間が掛かるものだ。やはり、旅人が見た憧れの風景だったのだろう。

 季節の好い頃には、水泳の得意な赤江さんは、まるでプライベート・ビーチのような海岸から飛び込んで泳ぐこともしばしばあったと浅井さんから教えていただいた。時に気分転換、場合によっては原稿の内容や進み具合に納得がゆかず、熱の籠もった頭を冷やすために水に入ったこともあるのだろう。赤江さんの作品に観られる強靭さは、水泳で鍛えられた面もあるのだろう。

 私が事々しく言うまでもないが、物を書くには時に「体力」が最優先と言ってもよいほどに消耗をする。赤江さんは、凪ぎ、荒れ狂う関門海峡と日々を共にしながら、肉体と精神をも鍛える術としていたのかもしれない。赤江さんの文章に見られる優美な感覚は、自然の厳しさと共に生活していたからこそ、とも思えるのだ。一人の優れた表現者を産み出す背景には、実に多くの要素が含まれているものだ。それが単純ではなく、複雑かつ重層な厚みを見せるからこそ、紡ぎ出される物語も美しいのだろう。