演劇評論家 中村 義裕
赤江瀑の作品の特徴としてよく指摘されるのが、「京都」を舞台にした作品の多さだ。「短編の名手」と同じほどの頻度で、赤江瀑という作家の一面を現わしている。確かに、作品の数は切れ味の鋭い短編が圧倒的に多いが、長編もないわけではない。今回の『風葬歌の調べ』は、珍しい長編で、舞台は言わずもがなの京都である。
昭和57年(1982)に実業之日本社から刊行されたこの作品は、京都のホテルのフロントマンを主人公に、博物館に展示されていたギリシャの「四足獣形の魔除け」を巡る推理小説仕立ての長編だ。「推理小説仕立て」と書いたのは、複雑なトリックや多くの登場人物で読者を幻惑させながら進むのではなく、人間関係の複雑さ、その背後に横たわり、物語が進むに連れて見えてくる登場人物の関係性と「四足獣形の魔除け」が絡み合って進むところにある。血腥い連続殺人や名探偵登場による鮮やかな謎解きなどは、赤江瀑の世界とは無縁の場所にいる。
もっとも、作品によっては、そうしたものよりも遥かに怖ろしいとも言える人間の怨念や執着、業などを描いた作品は他にもある。
この作品の妙味は、京都という古都と、遥かに掛け離れた古代ギリシャの遺物が重要な役割を果たしているところにある。
赤江瀑が終生京都へのこだわりを捨てずに描き続けたのは、その作品群の多さを既に述べた通りだが、赤江瀑の描く京都は、他の作家が描くそれとはまた違うものを持っている。私は、他のところでこの感覚を「京都の闇に棲む魑魅魍魎」と書いた。もちろん、誰もがよく知る華やかで典雅な街の姿や、長い歴史に培われたかつての都での日本の伝統美を描いた作品も多い。しかし、そこには端正や絢爛な美しさ、匂い立つような華やかさだけではなく、どこかに、闇に棲む魑魅魍魎が息を潜めているような感覚を覚えるのだ。この作品で言えば、それは登場人物の関係性の中に蠢いている。
人々の間を渡り歩いては姿を消すのが、意志を持たない「四足獣形の魔除け」なる翡翠色の小さな石のような遺物だ。
主人公は、博物館で目にしたこの遺物が、ホテルの宿泊客のペンダントに酷似していることに気付くものの、のちに画家だと判明するこの客は、仁和寺の人目に付かない場所で不審な死を遂げる。しかし、その場にはペンダントがなかった。それが腑に落ちないところから探索を始める主人公の行動を待っていたかのように、この遺物にまつわる話やペンダントを付けていた人物に関連のある人々がつながってゆく。この物語のそこかしこに、「京都」の空気や人々、風景が点景のように嵌められている。
赤江作品の特徴を「耽美」と一言で表現するケースが多い。間違いではないと思うが、耽美の内容も幅が広く奥が深い。時折「エロス」と混同されることもあるが、そう簡単に切り分けられるものでもなく、また、完全に別物とも言い切れない。この作品の中にそういう要素を感じるとすれば、お香の残り香、微薫とも言えるようなものかもしれない。濃密に香り立つ香木の魅力がある一方で、微かな、あるかないかの残んの香りもる。『風葬歌の調べ』には、この残んの香りが漂っているように思える。
主人公が付き合っている女性とのラブシーンの描写もあるが、至極あっさりとしており、そうした事があったのだ、と描かれてはいるものの、濃厚ではない。考えようによっては、微細にその場面を描くよりも、高度な技術を要する書き方かもしれない。しかし、これも残んの香りに通じるものがある。
殺人という決して美しくはない行為の周囲に、赤江瀑は残んの香りを漂わせる。赤江瀑にしか書けない京都の姿を見せながら。
「風葬歌の調べ」
冒頭部 (略)
この都に群がり寄せる人波が、年々歳々、四季折折、飽きもせず、絶え間もなく、繰り出されてひしめくのも、古い都の底知れなさ、その全貌のつかみ難さ、そんなものが人の心に働きかけ、人の心を 誘い寄せる、目に見えない蠱惑の力を揮っているのではあるまいか。
泰貴は、ときにそうした思いにとらわれることさえあった。
京都が、巨大な、輪郭のない魔物の姿を、そんなとき、ちらと垣間見せ、悠然と眼先を消えて行くような、幻の束の間を、思い描いたりするのだった。

風葬歌の調べ
初出/週刊小説
昭和56年3月27日号から昭和56年12月18日号 まで連載
実業之日本社 昭和57(平成14年)年9月発行
装画/此木三男
装幀/サン・プランニング
角川文庫 1986年9月 発行
解説/小林慎也
カバー/村上昴(村上芳正)